2009年6月号

梅雨のさなかにあっても


「今年度の水戸幼の子供達はよく遊ぶねー。」と、保育者につぶやいてしまうくらい、エネルギッシュな毎日です。今年度は各年齢の人数バランスがいいとはいえない、試行錯誤の出発でした。生活を始めれば、個々人の持ち味や生活力の多様さ、身辺自立のばらつきと課題は盛りだくさんでした。
カラー帽子をかぶるようになるまでの、ハードル。水道の蛇口をひねったら、出しっぱなしにしないでまた閉めることを覚えるまでの、流れていった水の量。雨の日は庭ではなく、テラスを歩いていっていいことを理解していく梅雨の日々。何人もの保育者のよりそいや言葉かけ、年上の子供達の理解してやっている姿の影響がからまりあって、てんでばらばらだった一人ひとりが生活力を発揮しだし、安心して、実に様々なことをして遊んでいるのです。三輪車の好きな4、5歳男児は、この頃わざと遊具や他の三輪車に突っ込んでいき、その衝撃を体験しています。見ている私は「ちょっと大丈夫?」という気持ちですが、お互い了承の上やっているので、たいがい笑い合っており、時たま本人達の予想を越えたことが起こり、痛い想いをするということにもなります。こういう身をもってのわくわくする体験は、想像力があるお子さんにとっては、脳のドーパミンを放出させ、出来事の風景を記憶させ、知恵につながっていくものなのです。
1学期、クラスの中で色々なトラブルがあると、そのクラスは泣き声や金切り声が多くなる時がよくあります。ところが不思議なもので、丁寧に応対していると時間がたつにつれて、一人ひとりに色々な体験が蓄積され、耐性がついてくるのです。まるで抗菌を強く意識しないで遊ぶ家庭の子供の方が、免疫力が高まるのと同じようにです。その姿を目の当たりに見て、人間という生き物のもつ潜在的な力に感嘆せずにはいられなくなります。私達大人の方が子供達をよく見て学び続けないと、心の狭い頑な器になってしまいそうです。
仲間を見つめるまなざしというところでは、『ガンピーさんのふなあそび』/ほるぷ出版がおすすめです。
園長  松本 晴子

当たり前の子供時代が送れない不幸…


暑くなってきたので砂場での水泥遊びが盛んになってきました。中には苦手なお子さんもいますが、好きなお子さんは毎日のように手も足も洋服もとどろどろになって遊んでいます。泥団子を作る子もいれば穴を開けたり山を作ったり、ホースの取り合いをしたり。水戸幼稚園の毎日の遊びがこうなのですから、私たち保育者もこれが「子どもの本来の姿である」「これがあそびだ」と思ってしまっています。しかし、時々保護者の方から「家では外ではほとんど遊ばない・遊ぶ場所がなく公園までは車がないと行けない・公園には砂場がない」という話を聞きます。砂があり水がありおもちゃがあり木陰があり・・・時間とそれを許してくれる大人の目があり・・・今の子ども達には現代だからこそ乗り越えなければならない壁があるのですね。それも大抵は子どもの力では乗り越えられない壁です。こんなにも身近なところで、環境が変わってきていることを改めて感じます。
昨日の砂場では、水溜まりの上に木で橋を通して昇ったり、揺らしたりして遊びました。そのうちに一本橋でのジャンケン遊びや「こっちの木はつるつるする(気持ちがいい)こっちはダメだ」と木の感触を口にする姿も出てきました。どぼっと落ちることや進みが遅いと友達に「もっと早く!」と言われたり、砂山に水をかけて溶かすことも楽しみます。自然に発生していく友達との交わりと、遊びを選びながらも偶然生まれる遊びの面白さに本当に砂場は社会の縮図だと感じながら見ていました。
昨日の遊びで印象的だったのは「おなかすいたぁ」と何気なくもらしてしまった私に「はい、どうぞ」と砂のケーキが出てきた事です。近くで聞いていた子が自分が作っていたものを差し出してくれたのです。とっさの行動に感激してしまいました。もちろん、ぱくぱくぱく!っと喜びいっぱいで食べてしまいました。これからも子どもにとって厳しい環境は増えてしまう事でしょうが、そこに流されないように遊びの中にあるものを大人も共に味わいたいものです。
小林悠子

つくしっこクラブ
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