理解の一助

今年のクリスマスの時期は、毛糸を使った〈巻き巻き〉に取り組んだクラスがありました。庭のさくらの枯れ枝をクロスにして、そこに毛糸を巻き付けていくのです。5歳児の子どもたちは法則がわかると、色を変えて巻き続けます。4歳児の方は一回目は法則があるみたい、というのはわかるようですが、はっきりつかめず苦戦。しかし2回目の体験の時には、あきらかに違っていて、ふとわかるときが与えられていました。人間の理解というものは、素晴らしいものだと、このときは強く思いました。

 

 枝は自然の素材です。毛糸も合成繊維もあるけれど、ウールなら自然素材。子どもに自然の素材は合うな~と感じます。なんか似ているというか。それぞれみな形も手触りも風合いも違うけれど、味があって、そこにあって違和感がなくて、ほっともする。命が含まれていたからなのでしょうか?クリスマス会の茶話会で手にしたお母さま方の表情にも、「これね。。。」と言葉は少なめですけれど、なにか思うところがあるかのような眺め方が印象的でした。礼拝の中で、毛糸の話をしたことがありました。羊の毛から作られているんだよということから、羊はどこに住んでいるだろう?日本にもいる、オーストラリアやニュージーランドにもいる。中国にも。そしてイエス様がお生まれになった今のイスラエルにも。「私のおかあさんが、イスラエル産の毛糸でセーターを編んでいるのよ。そう、あの羊飼いの飼っていた羊と同じかもしれない。」子どもたちにとってイエス様は遠い存在かもしれないけれど(目に見えなくて、顔も知らない)、羊飼いの羊は今も毛糸になってすぐそばのセーターになっているのかもしれないという関係は、伝えてみたいものでした。私にもこれがイスラエルの羊毛の毛糸で、トルコが輸出しているものと知って、不思議な感慨があったのです。理解とはなんなのでしょう。

 理解といえば、こんな気づきもありました。感染症が流行る時期で、園も逃げることは出来ません。子どもや周りにいる者も苦しい状況になる可能性があります。クリスマスの時期に落ち着けない状況があるということから、はっとしたことがありました。そうか、マリアとヨセフも、ベツレヘムに歩き着いた人たちも、見知らぬ先祖の地で、どこもかしこも人だらけで、やりなれない生活を一定期間送らなければならなかったんだ。それはどんなにフラストレーションの高い事態であったろうかと。そんな中、それでも言葉を伝え続けて、馬小屋を与えられ出産を迎えた夫婦。

クリスマスはそんな日であったのだと。暖かく穏やかで、安心してゆったりとというところから、かけ離れた、精一杯の非難生活のような、ある日。そのことを改めて示されたのでした。   園長 松本晴子