1999年9月号

実りの秋、恵みの時


 毎年恒例の行事に芋掘り遠足があります。今年も茨城町にある農業大学校まで園児全員と職員、役員のお母様方とで出かけました。今年はさわやかな秋晴れで、実りを感じるには最高の日和でした。畑の土も違いました。芋畑はサクサクとした黒土で、柔らかく掘りやすいものでした。
素手でさわっていたくなる土だから不思議です。そのような土から紅いお芋がのぞいてきたら、夢中で掘らずにはいられませんね。ビニール袋に2K以上よくばっていれても、自分にとっての宝物ですから、ずいぶん頑張って畑から数百メートル持って歩きました。年少児の子供達を助ける年長児の姿もあり、そういうお兄さん、お姉さんがさぞ頼もしく3歳児には映ったことでしょう。
 しかし、このような豊かなおいしい恵みである食べ物も、先日の東海での臨界事故によって、当たり前に手にはいるものでないことが、思いしらされました。私達は色々な側面から恵みを戴いている事をもう一度考えてみる必要がありそうです。原子力が悪い等と一面から捉らえる事はできないのです。全ての物事はつながっているのですから。甘くてほくほくのお芋を食べられる幸せをかみしめつつ…。

パンジーさんのまなざし


   私達の園では数名の障害を持ったお子さんを受け入れています。障害の程度・種類は様々で、通園も毎日、週に1回、週に2回とその子によって違います。それでは各クラスの子供達の様子はどうなのでしょうか?
 これは私自身少し驚きでもあった事なのですが、その子達はクラスの子にとても人気があります。クラスの子は、その子の面倒をとてもよく見てくれます。何かできなくても黙って代りにやってあげたり、泣いていれば優しく肩を叩いてあげたり、特に年長児になるとごく自然に色々な面で手助けもしてくれます。
 ‘クラスに溶け込んでいる・周りの子も皆受け入れている’というのとも微妙に違う感じで、それが当たり前であり、本当に自然なんです。勿論、年少児の中には年上の子が自分もできる事ができないという事を不思議に思う姿もあります。 先日は「どうして5歳なのに1人で階段登らないの?」と聞かれました。
 そして、影響をうけるのは周りの子だけではありません。障害を持ったその子だって、皆が楽しそうに何かをしていれば自分も混ざりたいと保育者の手を引っ張ったり、雰囲気を味わってはニコニコしています。それを見ていると気持ちや感じ方は皆同じ様に思えます。こうして毎日接していくうちに子供達の中には優しさが芽生えていくのでしょうか。私達の中には常識や理屈で身に付けてきた優しさと、その人が本来持っている優しさがある様に思います。その本来持つ優しさというのは、幼い時からの日常生活が深く関わって育まれていくものなのではないでしょうか。当たり前に感じる生活がどのように影響しているのか言い表す事はなかなか難しいですが、その子達が大人になった時人間的な温かさや優しさを一杯持っている人になれたらとても幸せだと思います。
(保育者1年生の目から見た幼稚園でのひとこまです!)

つくしっこクラブ
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