意欲のたね
雨から雪に変わって、外は白いものがふわふわと落ちてきます。子どもたちはガラスの内側から「雪だ、雪だ!」と興奮しています。庭は水たまりだらけで、さすがにその日は外に出る方はいませんでした。TPOは必然と関係があるのでしょうか?
その日は暖かい床の上でこま回しに興ずる4歳児。4歳児のこままでは回せるようになっていたB君は、望組(5歳児)のこまを貸してもらって、縄巻きから投げるのまで食い入るように見てきた成果を、発揮し出しました。何回もやり直しをしながら、とうとう縄を巻いて、回せるようになったのです。やれるようになりたいという強い意欲は、どうやったら育つのでしょう。幼稚園に入ってくる段階で、もちろん初めてのことに臆病な方はすでにいます。昨今の生活環境は安心して外に出せる状況ではないのですから。おのずと室内で過ごし、ぼんやりとテレビやDVDに見入っているのは、日常なんです。これってどうなっているかいじってみちゃおう!という、大人側から言うところのいたずらを経験できないのですから。
私は大の大人で、いい年をしているのですが、何かいたずら的なことを考えているメンバーと一対一で行き会うと、一緒にそれをやりたくなるという、変な衝動があります。先日も預かり保育で長い時間園にいるR君が、その部屋から抜けて職員室のドアの前に立っていたのです。ドアに耳をあて、聞き耳をたてています。中には親しみを持っている先生達がいるようだと、どきどきしているようでした。後に立っていた私は、中をのぞこうとするR君に、「そーっと開けてみよう。先生達の顔がいつもと違っているかもしれない。目がなかったりしてるかも。」と声をかけ、ドアをそっと開けるスリルを二人で堪能しました。本当なら、「なんでここにいるのかな?お部屋は◯△だよね。戻ろう。」と声をかけてたしなめるべきなのかもしれません。それでも一緒に遊び心を持ってしまうのは、なぜなのかと思います。一緒にわくわくした彼、彼女らは、相棒として私を認めてくれ、距離は縮まり、信頼を寄せてくれる目になります。そのあと一緒に部屋まで送っていき、別れるのでした。意欲はやってみたいことを見守ってくれたり、一緒に同じ方を向いてくれる大人がいるという感覚から、伸びていきます。しなやかにいたずらっこに(笑)。
園長 松本 晴子
1月の幼稚園
★幼稚園は嫌なんだけど・・・★
急に思いついたようにAちゃん(4歳児)が言いました。「幼稚園は嫌なんだけど、お友達と一緒がいいの」「そうなの。幼稚園のどんなところが嫌なの?」「だって活動は先生が決めるでしょ?皆で決めたいの」「Aちゃんはどんな活動がしてみたいの?」「車はまだ描けないんだけど、車を描いたり、お花は作れるからお花を作ったり!」「そうなんだ。それなら○○先生に“やってみたい!”と伝えてみるといいんじゃないかな」と伝えました。
本当に驚きでした。与えられるものではなく、自分たちで決めたいと考える。4歳児さんがこんなにも主体的な気持ちで幼稚園に来ていること、友達と過ごす喜びを大事なものとして感じ、表現したということ。こういう気持ちが育つって本当にすごいことだと思うのです。「自分達が楽しむために自分が考える。自分達で物事は動かしていけるものだ。」普段の遊びから感じてきたことなのでしょう。
★年少児のテーブル★
お弁当を食べながら、年少児達がキャーキャー騒いでいます。そっと見ると・・・
B君がお弁当に入っていた空のアルミカップや楊枝をおはしでつまんで、大口を開けて食べる真似!皆が「あー!」と言うとにっこり笑ってやめて、また次のものを食べようとし・・・皆で笑い(冗談)を共有してとっても楽しそうなテーブルでした。
しかしそのうち、「うるさいですよ」と年長さんからのお叱りの声。肩をすくめるような年少さんの雰囲気はありつつ、アイコンタクトで笑い合うような仲間意識が感じられ…そっと見ていた私にはこの縦の関係性と年少さん同士の心の繋がりが何とも微笑ましく映ったのでした。
★想像して楽しむ[1]★
寒い朝、しっかりとした氷が張りました。バケツには丸型。荷車には長四角。たらいには大きな丸型。側溝には細長い氷。大きさ、形、厚み、冷たさ、透明感に驚きつつ色んな想像で遊びました。B君は“氷の博物館”を作ると言って、テーブルに並べました。違う場所では割れた氷の形を合わせてパズル。氷と葉っぱでスープを作る女の子。紐をたらして氷を釣ろうとしているメンバーもいました。寒さがもたらしてくれた一時の楽しみです。
★想像して楽しむ[2]★
給食にきんぴらごぼうが出ました。保育者のプレートのこんもりごぼうを見たCちゃんより。
「先生の(ごぼう)薪みたい!」
「薪!そうだね。ごぼうが重なって薪みたいだね」
子どもの視点は何て柔軟なのでしょう!
小林 悠子