2011年10月号

想いを込めてしまうもの


運動音痴で不器用で体育が嫌いだった私が、唯一幼い頃から小学生まで好きだったことが鉄棒と跳び箱でした。背の順はいつも一番前という小柄でやせっぽだったので、逆に言えば身軽だったのでしょうね。だからでしょうか、この時期になると幼稚園生の鉄棒の援助に心を入れてしまうのです。
前回りは両腕で体躯を支え、その状態から頭を下ろしていくのですから、かなり怖いものです。頭を下ろしながら手を離して墜落するイメージは、なかなかとれるものではありません。現にがちがちの身体の場合は、地面に手を付いて身を支えようという動きになりやすく、うっかり手が離れてしまいがちです。そんな面々が4歳児から5歳児1学期、そして2学期と徐々に精神が成長して、私の誘いに応じ助言に耳を傾け、身を預ける時?とき?がやってくるのです。そこまで時が満ちていれば、もう大丈夫。あとは誉めて感じたことをコメントして、ちゃんと見ていたよというサインを送ればいいだけです。
嬉しかったことは家族への報告になり、お母さまやお父さまがご自分の子ども時代の思い出を話してくださることもあります。これは現代に残る伝承ですね。憧れをもって次の自己課題となって、ちょっとした時間に挑戦していく。そういう意味で大人は何かしら憧れをもたれる存在でありたいものです。言葉で夢中になっていた事柄を語る姿は、8歳児くらいまでは純粋に心に刻まれて、いい影響を与えるものです。それと同時に大人になった今の生き生きと夢中になる姿も、垣間見せる機会があるといいですね。今は言葉情報があふれすぎていますから、なおさら黙々とやっている姿が必要なのだと思うのです。
園長  松本 晴子

ちょっとした出会い


2学期は子ども達が自分の興味によっていろいろな試みをし出す、とても面白い時期です。それは同時に「いつまでも遊んでいたい」とか「だから片付けはしたくにない」というような、大人にとってはちょっと根気と工夫のいる時期でもあります。
その日は、園庭に残ったA男とB男が側溝にたまった泥すくいをしていました。たっぷりとたまった泥。泥を入れて遊んだら取るなんて、素晴らしいお仕事!彼らは自分達で気づき始めたのです。私は二人をそのままにしばらく待ち……待ちながら他の片付けをして……テラスを掃き……まだ終わらないかな??いや、あと少し待てば!……いつ終わるかな??……どう声を掛けようか……もういいかな……と心の中での葛藤を繰り返し……
するとお散歩していた年配の女性二人がフェンスの向こう側で立ち止まり、裸足でびしょびしょな子ども達の姿を見てこうおっしゃいました。「いいわねぇ、子どもはこうやって遊べるのが一番よ」。 私「そうですねー。でもこれ片付けなんです・・・片付けというか、遊びというか…」「そう。でも子どもは出来ることからやらなきゃね。子どもってこういう事好きだし、段々上手になるから。こうやって遊べるのがいいわ」とおっしゃっるのです。以前も園外保育に行ってびしょびしょになって遊ぶ姿を見て「いいぞ!もっとやれ!」と熱いエールを送ってくれたお年寄りがいました。きっとその時、子ども達は「いいなぁ」と周りが思うような表情で遊んでいたのでしょう。子ども達が集中して遊んでいる時、健やかで、のびやかで、見ているだけで気持ちがほっこりする場面が確かにあります。
だからこそ、今回も微笑ましくて声を掛けてくださったのでしょう。私は、側溝の遊びが楽しくてとてもいい経験だと感じつつも、時計の針が気になっていた事を強く思い返しました。地域の方がこんな風に子ども達を、そして幼稚園を見ていてくださっているのは、有り難いものです。お二人との立ち話はほんのちょっとの時間でしたが、「これが子どもの姿!」と背中を押されたような気持ちになりました。
小林悠子

つくしっこクラブ
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