ことばの肌ざわり
すっかり空気が冷気に満たされ、光りが透き通るような冬の朝がやってきました。寒さで体は凍えていきますが、子どもたちは友だちがいるようで、心は結構あたためられるように見えます。そばに友がいるようになる。そこまで日常の姿になった社会性の育ちに、やはり目を細めるまぶしさを覚えます。しかし危うさは、いつでも顔をのぞかせもします。今日、涙を流している4才児男児は、友に仲間に入れてもらえず、その悲しさでどうしていいかわからず、立ちんぼしていました。相手の方は本当は仲間になってもらいたくないのでしょう。「入れてって言わないし。」など、理由をこねています。「入れて…」と、か細く言っても返事が戻ってこないこの時空。傍らにいてもちょっとつらくなってしまいます。そんな気分を変えてくれたのが、一本のラップの芯でした。友だち達が手に手に手作りのおもちゃを持っていて、彼もこれで自分も作れる!と思ったようでした。そうすれば気分が揚がりそうです。午後に会った彼は、まだその品物をもって、ちょっと装飾を付けて、明るく走り回っていました。
同じその日、5才児の男の子がやはりブロックの遊びに入れてもらいたくて、周りをうろうろ。でもやっぱり入れてもらえないだろうという経験値から、アプローチが出来ないでいました。「Cくんもやりたいみたいだけど。」とその場をしきっている彼に声をかけると、夢中で仲間と話しながら作っていたところから顔をあげ、私の言葉を耳にしたようです。「Cくん。言ってみたら?」 「入れて…」「いいよ。」
「え、本当にいいの?」 思いもかけなっか言葉を聞いたかのように、かみしめてブロックを手に取り出すCくんの姿。そのメンバーの傍らでやらせてもらえたことの安堵感が、素直に伝わってきます。
またまた同じくその日。クリスマスまでに数回ある合同礼拝のあとにもこんな言葉が。お楽しみの一口おやつを今年はポテトチップスにしてみました。その前の年のこんぺいとう、その前の氷砂糖といつもいらないと言ってきた女の子が、「わ~私の大好きなポテトチップスだ!」と大きな口をあけました。毎回どんな面持ちで、配られるその場をやりすごしてきたのでしょう。でも本人が決めたことは見守っていいと考えて、まかせてきました。
言葉の肌ざわりを感じることが出来ることは、ありがたいことです。つらさやうれしさを共有できることは、人を育ててくれます。足らない器を用いて頂くクリスマスです。
新人の悩み事
行事の前はやることが一杯になることがわかってきました。どんどんやっていく先輩達がまぶしい。なんでやれるの?
体験が経験に変わっていく。引き出しにどんどん積み込まれていくものは、必ず生かされるようになりますよ!
園長 松本 晴子