恵まれたマリヤ

コロナウイルスのニュースが毎日流れる中、キリスト教保育を掲げている水戸幼稚園では、11月の末からクリスマスを楽しみに待つアドヴェントの期間を、いつものように過ごすことにしました。いえ、いつものようにではありませんでした。園のメンバーが一堂に会する合同礼拝はやめることにしました。そのかわり、年齢のクラスごとにお部屋で小さな小さなろうそくを灯して、礼拝をもつことにしました。心に最も残ったのは3歳児と満3歳児の集まったクラスです。ちいさな瞳でろうそくのかすかな光を、それはそれは厳かな面持ちで見つめてくれます。もうそれだけで、世の喧騒から一瞬離れてのよろこばしい出来事でした。「アードヴェントクランツに あ~かりが つ・く・と、かーみのこ エスさまの おたんじょうがちかくなる」そう歌う声が、静かでやわらかく心にしみていきます。子どもと共にあるものに与えられたプレゼント、まさに恵みでありました。

 

それからこんな場面も素敵でした。クリスマスプレゼントとしておうちの方から届くオーナメントが、クラスのメンバーに共感されて、あれはBちゃんのでね、ぼくのはこっちと、お部屋に飾られたものをよく見知っていることに、驚かされました。「あとはSくんのが最後なんだ。明日絶対届くから信じるんだぞ!」というような励ましを受けて、最後まで待ってきた方は持ちこたえていったのかもしれません。もちろん担任たちが誰を最後にしようかと考えを巡らせてのことではありますが、生身の心の中は、計り知れませんからね。励ましは心強いです。

 

聖書に記された、「恵まれたマリヤよおめでとう」と天使がブリエルから言われた、イエス・キリストの母マリアは、たぶん16歳くらいの少女であったと言われています。大人が決めた婚約者は歳の離れた方であったようですが、ユダヤの教えに従う厳格な社会の男性でもありました。今の私たちの感覚では、天使に告知を受けた少女は、その事態を受け止めきれず不安でいっぱいであったことが想像されます。それなのに恵まれていると言われて、そこからの長い長い不穏な日々を歩んでいくとき、彼女は何を拠り所としたのかと想像してしまいます。やっとイエスが30代になってあちこちで大きな働きを行う噂を耳にして、はるか昔の告知「めぐまれた女よ~」を思い出したかもしれません。

このマリヤを思う時、今のコロナの時代になにか通じるものを、私は感じてしまいます。30年後に過去を振り返ったとき、そこにどんな恵みがあったと思えるか、何を考え行動を起こしていったと言えるのか、チャンスがあれば知りたいな~と思ったりするのでした。      園長 松本晴子