ある考察

子どもたちが園に戻ってきました。二か月のブランクがあったのに、進級児は春休みが終わった後の登園のようにすんなり当たり前のようにやってきました。それどころか長い自宅での生活に身体がうずうずしてきて、幼稚園で以前にもまして主体的に話したり、行動する姿が見え隠れしています。これはいったいどういうことなのかしら。。。と思い巡らしてみます。一つ浮かぶのは、家庭の中に家族といて、時間的にゆとりがあって養育者との関わりが濃くなり、満たされた感覚があったのかなということです。それぞれの事情はわかりませんが、習い事も休みでしたから必然工夫する方向もあり、嫌というほど家族といたのだと思うのです。そのことが身体にみなぎり満足し、充足しているのではないかな。。。と。もちろんYouTubeやゲームの視聴時間が長くなることもあったでしょう。それはそれで必然です。山のような学校のプリントと格闘する兄姉がおられたり、お父さんがリモートワークや在宅で、オンオフを味わわなければならないこともありました。園の保育で毎日過ごす方もおられます。それでも、外食は行けずに家で食卓を囲み、喋る時間や回数が増えたり、お父さんが話題の中に入ってきたりと、戦前の家庭のような密な時間が流れたのかもしれません。そんなことを想像するのです。もちろん喧嘩が絶えなかったご家族は、本当に苦しかったと思います。距離を取れないのですから。逃げ場がない。そんな問題も現代はあります。ふらっと逃げ、慰めを得られる野原や鎮守の森は身近にはありませんから。。。

特別な状態の中を生きる子どもたちです。ある一角では紙で作られた手作りのキャラクターたちが、小さいお布団に寝かされていました。「みんなコロナにかかっちゃって入院しているの。マスクをつけてあるから安心して。」そこで、「コロナにかかっている人にはリンゴジュースがいいらしいから、準備してあげて。」と伝えてみました。甲斐甲斐しく世話をする姿に、ニュースを通して人として心配している体験をしていること。普通に話題にしていいことなのだと感じていることに、嬉しくなりました。また、「コロナ消えろ!おすし屋さんにいけないよ!」という声をあげる姿もあります。そういうことを自然にやれることが共存の一歩なのだと教えられます。そこには差別も卑屈さもまだありません。安心しました。      園長 松本晴子

つくしっこクラブ
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