クリスマスを毎年お祝いしている園でありますが、待降節といわれるアドベントの期間を、現代のようにアットホームな日々として祝うようになったのは、わりと最近の事であるといいます。19世紀のドイツの孤児院が、一週ごとにろうそくを灯し、4本点灯したらクリスマスの礼拝の日として、それが広がっていったとのこと。もともとは5世紀頃から、禁酒と断食をして心身を整える日々として、アドベントの期間はあったといいます。
ちなみにサンタクロースはもっと後です。園児に「クリスマスは誰のお誕生をお祝いする日でしょうか?」と問いかけると、3歳児の方はよく、「サンタさん!」と応えてくれます(笑)。本当は「イエス・キリスト」ですが。。。そのサンタクロースはなんとニューヨーク生まれなんです。アメリカに移民した18世紀オランダ系の方々が、故郷で12月に行っていた『ジンタ クラウス祭り』をマンハッタン島で行い続けてきました。このお祭りの中に、12月5日に子どもたちにプレゼントを届けることが入っていたそうです。この『ジンタ クラウス』のモデルは、なんと5世紀頃のトルコの司教『聖ニコラス』の物語で、オランダに伝わって広まったのだそうです。サンタクロースがニューヨークで市民権を得、アメリカ中に広まったきっかけは、園にもある絵本の中の詩によります。クレメント・クラーク・ムーア作『クリスマスの前の晩』です。その後12月24日にプレゼントを配り歩くサンタクロースは、商業主義に乗りまくり、コカコーラの広告であのでっぷり太った、ひげを蓄えたおじいさんに決定づけられていったとか。私の愛する『赤毛のアン』の中のクリスマスの描かれ方は、とてもシンプルでプレゼント交換もないのですが、ピューリタンといわれるイギリス系移民には、そもそもクリスマスの時期にお祝いする風習はなかったのだそうです。知らないことだらけで全く驚きです。
園ではどこにルーツを置いてアドベントの期間を祝っているのかと、ふと考えています。日本の幼児教育の世界に明治時代にぐっと入り込んできた、アメリカやカナダの婦人伝道団のお国での習わしが、お国での流行と共に日本にも流行し、戦後今の形で落ち着いているのかとも思います。敬神奉仕の精神と日本の商業主義にマッチングしながら、教会も成り立っているといえましょう。私たちは結果しか受け取れないように出来ている存在といいます。でもどんなことも繋がっていて、原因があっての必然であると私は思っています。今の水戸幼稚園では、おうちのかたに手作りに近いオーナメントとメーセージカードを用意して頂いていますが、それもこれまでの歴史を踏まえての必然のなすところ!と思って、楽しませて頂いております。
サンタさんを通さなくても、自分が特別に愛されていることを確認できる体験は、あるにこしたことはないのですから。
園長 松本晴子