イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」そして子どもたちに手を置いてから〜(マタイ福音書19章14節)この言葉は新約聖書に出てくるイエスさまの言葉です。
子どもたちがいかに大切な空間を心に持っているかを、イエスさまは見抜いておられました。
園でこんな出来事がありました。先日の夜半の雨で、子どもたちの大好きなブランコの下には大きくて深い水溜りが4つできていました。朝の時間に私含め大人もバケツで汲んでみたのです。でも腰が痛み出して、私は途中で諦めました。そしてブランコを縄で縛っていつもと異なる様にしておきました。朝の用意が終わって真っ先にブランコ目掛けて駆けてきた4人がこの事態に気づきました。私は正直に腰が痛くなってしまったことを伝え、寒い冬だし夏のようにバシャンバシャンと弾いて漕ぐのはさせたくないんだと話しました。そうしたら、ごく当たり前のように、「じゃあ僕たちが汲む工事するから」となって、柔らかいミニバケツで大きなブリキバケツに汲み上げる作業が始まりました。4人はそれを仕事と思わずおしゃべりしながら向きを変えたり、「はい満杯だよ!(捨てて来て)」と私に指示を出したり、「競争じゃないんだからね」と作業のスピードに差が出てきていることを牽制したり、そうしながらなんと水はすっかり取り除かれてしまったのでした。そこに砂を入れて作業完了。ブランコに乗り出したのです。それから5分くらいでしょうか。「二階に行くからお部屋に入るよ!」という声がかかったのは。。。私は、やっと乗るという本業に取り掛かったばかりだから、ゆっくりの入室を許可しようと思っていました。しかしその方達は、すんなりお部屋に戻っていきました。一体彼、彼女たちにとっての(脳の)報酬はなんであったのだろうと思いながら。
こんなエピソードもあります。4歳児の表現体験の中で、コウモリ小人になった方々が、「こんな明るいところでは飛べないよ。コウモリはまぶしいのが苦手なんだから。夜飛ぶんだよ!」と言ったそうです。そこで担任がステージの電気を落とすと、あら隠れていたところから現れましたよ!こんなふうなやりとりを聴いていると、やっぱり子ども心を失いたくないなぁ〜と深く思わされたのです。伸縮性があって既成概念がまだ柔らかくて、愉しげで。
そう考えるとクリスマスにはきっといろんな意味を見出せます。私たちの見出す力には子ども心が必要。そう思わされる幼稚園でのクリスマスの季節です。