2007年6月号

一輪のひまわり


この間、園の片隅の本当に目立たないところにひまわりの花が咲きました。葉っぱも虫に食われていないし、花も優しい顔をしています。子供達もその場所のそばで泥団子をよく作っているのですが、でもひまわりには気がついていないようです。この花には物語があるんです。
昨年度あるクラスで飼っていたハムスターが死んでしまい、物置の脇にお墓を作って埋葬しました。子供達はそこへよく何かを持って行き、ハムスターの彼を偲んでいました。ある日家から好物のひまわりの種を持ってきてくれた女児がいて、土に埋めていきました。そうそれが3つ芽を出し、とうとう花を咲かせたのです。その花の静かなたたずまいに、神様のまなざしを見るようでした。裏でいい土を集めてお団子にかけている子供達を、静かにながめている。それはハムスターを仲間として暮らしていた子供達の優しい思いとつながっていて、今いる子供達を見守っている。そんな感慨に陥ってしまいます。
植物ってとても凛としていると思いませんか。誰にも気づかれないかもしれないのに、なんて美しいのでしょう。時が経ち、昨年度の子供達も成長していきます。すぐへこんでいたお子さんが立ち上がり、すぐ不安になる表情が柔らかくなり、切り替えられなかったお子さんがなじもうとし、そういう姿をひまわりはみんな見守っているような気がしてしまうのは、もうアニミズムですね。種を持ってきた彼女とはもう一緒に見にいきました。「エー、これが!!」ですって。
園長 松本晴子

子供にかえって


毎朝、私たちは園庭を掃いたり、雨上がりの日は遊具の露を拭いて子ども達の登園を待ちます。中でもこの時期は、伸びる草や木の枝との競争です。子ども達とはこの朝の掃除を通しても色々なやりとりが生まれます。、「何やってんの?」「木の枝や葉っぱを切っているんだよ」「どうして?」「夏に近づいてどんどん伸びてきちゃったからね」「ふーん・・・」と部屋に入っていく子。葉っぱの形や長さ、時々は一緒にくっついていた虫を発見する子。驚く事に、通りすがりの子ども達が「拾ってあげるよ」と落とした枝や葉っぱを拾いゴミ袋に入れてくれる事も少なくありません。じーっとしばらく見ている子もいます。園庭に水をまけば「今度はこっちからまいてるの?」と、子ども達は本当によく見て声を掛けてくれるのです。
私はなんだか庭の手入れをするおばあちゃんになったような気分で、子ども達とのやりとりを楽しみます。「子供の頃は私も見ていたな」と思い、ちょっとだけ手を出しすぐにやめて、遊びの合間におしゃべりをして。「どうしてあんな事やるんだろう」とか「大人だからやるのかな」とか「大変そうだな」とか思ったりしました。
この子供達もいつかこんなことをするようになるのでしょうか?どんなことを思いながら見ているのか、枝を拾ってくれるのかと想像しつつ。観察の大好きな子ども達は、先日、高い木に枇杷の実がなっているのに気がつきました。「取って食べるんだ!」と登ってとろうと頑張った子もいましたが、まだ手に入れていません。いつ味見できるのでしょう。そうそう、この枇杷の木は理事長が子供の時に種を蒔いたものだとか・・・
小林悠子

つくしっこクラブ
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