2010年9月号

美しい脇役たち


夏も終わりになると、身の回りにあるものの風景がちがってきます。ヒーロー的存在のものから、脇役のものへ。そして子どもは、その脇役への興味にとらわれていきます。かぶとしむしのつがいがとうとう土に還ってしばらくしたら、その子供達(幼虫)がくぬぎくずのケースの中で育っていました。お掃除も兼ねてシートに広げてみると20匹もぷにゅぷにゅくんたちがいました。不思議でたまらない子供達。桜の小枝を拾ってきてそこに捕まらせようとするうちに、手で持ってみたくてたまらなくなって、持ってみたら「あ、あったかい!」
桜の木からオビカレハの幼虫が降りてくる時期も9月でした。「先生、ここに毛虫がいるよ。」数日の間、毛虫は受難の日々を送ります。砂をかけて動きをみようとしたり、せっせと土と毛虫を空き箱に集めたりする男の子達。それでも私はこの不思議に見える生きものに向き合う今を、大事に思います。きもちわるーいという声は、あんまり聞こえません。植物の花や実やはっぱを潰しての色水の不思議。絵の具をぽたっと垂らして、色がさーっとマーブルになる不思議。描くことより色を創ることにのめり込む姿。
あー、人って美しいもの(幼虫の姿でさえも)を愛しているんだと知らされます。心地良かったり、心を揺さぶられたり、ぞくっとしたり、気持ちをわしづかみにされたり…。
こういうことに向き合っていられると、心がざわざわしていた一人ひとりが、やりたいことにのめり込んでいて(フロー状態=集中しているけれどリラックスもしている)、人間としてぐっと成長していくことを間近で感じるのです。秋って必要な季節なんですね。春のふわふわしたさざめきが夏を越えしっとりと彩りを変えていくこの時期を、私も子供達同様抱きしめ、愛したいと思います。
園長  松本 晴子

どうやって行く?


9月のある日。この日は道路冠水のため大渋滞。園バスに乗った登園途中の子供達は早く幼稚園に行きたくて行きたくて、いろんな想像を巡らせました。
「(バスは時間がかかるから)歩いて幼稚園に行くのがいいな。歩いていけるかな?」「僕、歩けるよ」「本当?年長さんなら歩けるかなぁ。年少さんはどうだろう?」「それは、年長さんがおんぶして歩けばいいんじゃない?」「こうしたら?バスを飛行機にするの」「ひもをつけてロープウェーにすればいいかも」「(渋滞している車の)横を通り抜ければいいんじゃない?」「土を掘って行けば?」「じゃぁ、トンネルだ!」「でもそれじゃあ、夜になっちゃうよ」「だったらどこでもドアがあればいいよ」「じゃあ、バスと運転手さんはどうするの?バスが(ドアを)通らないよ…」「やっぱりタケコプターがいいんじゃない」・・・・・
誰かが何か発言すると、それを吟味してもっといいアイディアがないか考える。人数が多ければより活発に話しが膨らみ面白いものになります。直接発言しない子も、よーく聞いていて自分の中でイメージしていることもあるでしょう。驚くのは子供たちが「みんなが幼稚園に行くための方法」を自然に考えていること。年少さんや運転手さんのこともちゃんと同じバスの仲間として心に思っているのです。
こうした想像の話は聞いていて本当に楽しいものです。いつもはあまり話さない子がちょっとしたきっかけで雄弁になることもあり、そこで子供たちは友達のまた違った一面を知っていくことにもなるのですから。話し合いなんて硬いものでなく、誰かの話に笑ったり小耳にはさんだり、口出ししたり、とても自然なやりとりが、子供たちにコミュニケーションの力をつけてくれるのだと思います。人の話を聞くことは面白い! 何が聞けるかわからないからこそ、なまの関わりが大切なのですね。
小林悠子

つくしっこクラブ
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