2011年5月号

みーつけた


5月も終わりに近づくと、色々な動植物の発見が増えてきます。冬の寒さの中育ってきたそら豆は一杯さやを実らせ、『そらまめくんのべっと』を読み語るクラスもありました。そのあとはさやを広げて見たり、そらまめくんにポスカで顔を描いたりと、楽しみました。入り口の門の脇にすずなりになっている苺も、不思議なんです。一株で土もやせている感じなのにどんどんなって、そばを通る子どもたちがおいしそ~っと見入っていきます。私の命名は『見るだけ苺』。今年はむしって、洗って、はいどーぞは今のところ止めているからです。でも切ないまでにその苺の赤を心に刻む体験もいいかな…とも思うのです。それから、桜の落ち葉の溜め場の腐葉土の中から、くわがたの幼虫らしきものを掘り起こして発見した5歳児達がいました。落ち葉の溜め場を作ってから5年目。密かに願っていたことが起こったのです。南側の沢渡側緑地にはいるのですから、もしかしたら…なんてね。
立派な畑もなく、流行のビオトープもないけれど、今ある環境ですみずみまで使ってみていいよっというおおらかな空気感が、私は密かに好きです。女の子達はある保育者のまねをして、ひめじおんやみやこわすれの花を摘んで、「今度はK先生に付けてあげようよ。バッジに穴あいていたよね?」なんて話をしています。思い煩うことも日々あるのに、子どもはきらめくものを見つけるチカラを持った存在なのだと教えられるのです。
子どもたちは自分の中に「みーつけた」と自分のすぐれた部分をみつけていけるでしょうか。大人になっていく道すがら、自分にもきっと磨けば光る宝物があることを信頼できれば、人生はずっと楽しいものになるはず…。幼稚園の役割はそのことの根っこ張りでもあるのです。
P.S.幼稚園に『幼い子どもの心のケア』(いま親にできること)というとてもわかりやすい小冊子を10冊頂きました。読みたい方はお貸しできますので、園にお寄りください。
園長  松本 晴子

なんでの連続


去年の梅雨を思い出します。大雨の日、A君は大粒の雨が勢いよく降ると泡ができる事を発見しました。そして不思議に思いました。「あの泡はすくえるのだろうか」と。しばらく見た後、「先生、泡をとった方が勝ちね」という遊びを提案してくれたA君。「いいよ!すくってみよう」と遊びを開始!
私は何とかすくおうとそーっと水たまりに手を入れるのですが、持ち上げるところでいつも失敗。繰り返すうちに「あー、こっちに一杯あるよ」ともっと大きな水たまりには泡が一杯流れていた事に気づきました。A君が長靴で近づくと割れたり、逃げていってしまいます。
「先生、何で雨が降ってるんだろうね」「先生、なんでここ(遊具)は屋根があるのに下は水たまりなんだろうね。おかしいね」……A君の不思議は続きます。
子ども達は時々、とても素朴な疑問を口にします。風の強い今日は、大風で揺れる葉っぱを見ていたB君が「なんで風は見えないの?」
答えられる時もあるけれど、答えられない時も多い子ども達の疑問。「なんで風が吹くの?」「風は見えないの?」「なんで雨は降るの?」「なんで?なんで?……」心の中で何度でも繰り返されるのだろうと思います。そんな時の多くは本物に触れた時。風は見えないけれど、葉っぱが一杯揺れていた。泡は流れるけど手ではすくえない。屋根があっても水は入ってくる。水は坂のところを流れる。こんな自然の法則を学んでいる瞬間を目にすると、「あー、私もこの子もいい瞬間に巡り会えたな」と嬉しくなります。子ども達には心動かされる本物の自然と沢山巡り会ってほしいなと強く思います。
小林悠子

つくしっこクラブ
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