2014年3月号

喜んで生きる


2013年度が終わりました。そんな終わり近くのある場面で、めったに人前では涙が出ないクールな私が、不覚にも泣きそうになりました。卒園の茶話会で『キラリキラリ』の歌を聴いたときです。某教育メーカーの新曲でしたが、親子で密かに練習してきてくださった歌が風のように吹き渡って音楽となり、わき出す泉のように心に溢れていきました。子どもたち一人一人は先生たちを驚かそうと、心密かに準備の時を持ち、誇らしげな笑顔で歌うことそのものを愉しんでいるようでした。いつも与えることを意識しすぎてきて、ただただ受けるという恵みを私は忘れていたようです。私のありのままで受ける恵みは、最大のプレゼントといえました。
クリスマスの夜、下層社会に生きていた羊飼いに突然与えられた天使たちの合唱。メサイアでGlory to God in the higestと響き渡るあの場面。その印象をたぶんあの羊飼いは一生体に刻み込んだと想像します。なにか苦しいことがあるたびに、きっとその光景をはっきりと思い出すのです。私にとってもそういう場面になったように思います。
人生は一歩先も私たち人間には推し量ることができません。あの親子での歌声のすぐあとに、大地震が来ないとは、誰も言えないのです。現に3年前の大地震はそういう類のものでした。準備をしていないうちに、私たちの日常は壊れていってしまいました。そこにはいつも後悔が亡霊のように漂い続け、ちゃんと生きてきていただろうかと確認したくなったりもします。しばらく前から水戸幼稚園の教育理念は、『神様に愛されている幼子、そして育てている保護者が喜びに満たされる生活を送れるように、今を大切に生きること』としてあります。今をのめり込んで生きる姿は、まぶしく微笑みを浮かべてしまいますが、実は重荷がそれぞれにある日々の積み重ねでありました。共に闘いの渦中にいる戦士のように、誰かと手をしっかりと握りあい、神様が実は一緒に歩いてその困難に耐えられるようにしてくださっているのだと、知らされていくのです。それが今を喜んで生きるという、主体的な生き様なのかな。。。と送り出した子どもたちの顔を思い浮かべながら、しばし物思いにふけるのです。
園長  松本 晴子

春の中で…


桜前線が気になる季節です。
園の廊下に飾られた花瓶の桜の枝(強風で庭に落ちていた枝)は2月下旬から膨らみ始め、3月に入ると一輪咲きました。桜の枝を見守るのは今年で3度目ですが、例年になく早く咲き出して、なぜか春休みに入るまで咲き続けてくれました。毎日、その前を通るのが楽しみでした。「まだ、咲いている! 頑張っているなぁ…。」と呟きつつ、その姿に不思議と励まされていたのです。
今は、園庭の桜が満開になるその時を心待ちにしています。(本当に見事なんです!! )

★ちょっと感動的でした
卒園式を控え、前日迄の練習の様子からは厳粛な式を期待するのはかなり厳しい状況が正直なところありました。それにもかかわらず、当日はきれいな歌声と共に精一杯「大きく成長した自分」を皆様の前でご披露できたのです。春の光に包まれ、子ども達の晴れがましい笑顔はとびきり輝いて眩しかったです。些細なことですが、立ち居振る舞いや返事を丁寧に心を込めて行う姿に目は釘付けとなり、ハンカチも必要でした。前日迄のことを知っているだけに、「出来る自分」で締めくくれたことは自信となり、さらに前向きに園を後にできたのではなかと思います。これからも、様々な困難を乗り越えて成長し続けると信じています。ますます素直に「なりたい自分」へ近づいていけますように…。(どんな未来を拓いていくのか楽しみです。)

★ちょっとステキでした
1日遊ぼうデーの一つのコーナー(出入り自由)で、細紙のレリーフを作りました。細く切った色画用紙をくるくる丸めたり折ったりしたのを台紙にボンド付けするだけの簡単な作業を繰り返す中で共同作品が仕上がっていきました。コーナーを出入りする一人ひとりが思い思いの色を選び形を作ります。「なんでもあり!! が芸術だから…」と声を掛け、一人ひとりの取り組みを受け止めました。「完成」に向かっていく作品を見守りながら、「みんなちがって みんないい」ってこういうことなのかもしれないと妙に納得する自分がいました。
「美」は「真実」を映すものなんですね。「あなたは高価で尊い」とおっしゃる神さまは、私達をこんな風にご覧になっているのかもしれません。(知っていますか? 私達は神さまの作品なんです…!!)

虹組担任 深谷幸代

つくしっこクラブ
友だち追加