2014年6月号

不安定な気候の渦中


6月は日本中の天候が不安定でした。晴れて日中は暑くなり、庭の葉陰で三々五々と遊ぶ子どもたちも、北から黒雲が立ちこめだして、ヒューっと肌寒い風が吹くことがあると、何か起こるのだろうかと気配を感じる子どもたちもおります。
しかし大方の子どもたちはそういう空気にはまだ鈍感で、この時期は目の前のことだけに夢中になりやすいです。自分の周囲を見渡す、はたまた全体を見回すことは出来ない時期と言えます。ですから遊びの取り組みは、おもしろいことを黙々とやっています。例えば揺れるブレイザーの真ん中に砂を載せ、振動を起こすことによってその波形が形になることに気づき出すのです。プリン型にして乗せてみたら?大きな山なら?というように5歳児くらいになると試す科学者のようです。
その一方、大人びた言葉や、小学生の影響を受けたような流行ことばを使い出すのも、今頃からと言えます。学生が持ち出すスマホなどのネットの電波は、私たちには見えませんが、恐ろしいほどの量がこの空気を飛び交っており、子どもたちの耳元をかすめている世界です。情報の取捨選択の能力をどこで磨けばいいのか、保育者達もわからないというのが、現状です。たぶん誰もわからない。10年後、20年後に子どもたちが成人して社会生活を送るようになって、新しい命を授かった時に何を伝えていくようになるのか、そこまで見ない限りなんともいえない、猛スピードで動いていく社会です。悪気がなくても相手がふさぎこみ、心が傷つけば、いじめやハラスメントとなり得る社会。傷ついた方がまた相手に仕返しをする場合もある社会。もちろん隣国の一部の言動が過激であれば、国民の品位がないかのように差別を起こす人たちが出てくる社会。とげとげして不安定です。その場で素直に話し合い、原因をさぐりつつどういう方向がそれぞれにふさわしい妥協策なのか、まず考えようという空気は、ないのでしょうか?気候を読むように長いスタンスを大人は持たなければなりません。夏目漱石の『それから』という作品に、すでに現代を語っているかのような台詞が出てくるのですが、文明開化の路線でも、きっと追いつけ追い越せで、肝心な何かを考えて育てていくことを、怠ってしまっていたのでしょうね。この日本は…。子どもたちが心と体を活発に働かせだす6月の時期に、考え込んでしまうことしきりでした。
園長  松本 晴子

6月の幼稚園


★ハサミ虫のお墓★
A君の大切なハサミ虫を、友達が「見せて見せて!」と引っ張ったのでハサミ虫の首はちぎれてしまいました。A君の目は怒りと悲しみと涙。しばらくは呆然とテラスに座り・・・涙が乾いて少し落ち着いた頃、A君は2つのことをしました。まず、ハサミ虫を取り戻し、ハサミが動いていることと首のちぎれ具合を確認。そして、もう間もなく死んでしまうハサミ虫のお墓を、自分で作る事。
帰りの会も出ず、そのまま1時間程。木を集め、石を集め、葉っぱを集め、お墓の上にのせて・・・ハサミ虫を忍ぶ静かな静かなお墓作りでした。
心の内に込めた様々な思いがどこかからきこえてくるようでした。
完成すると、A君はお墓の側でゆっくりとお茶を飲み、何時ものように友達の元に帰っていきました。


★思いを寄せる★
・B君がプランターの前で手を合わせてぶつぶつ言っています。「・・・神様、元気にして下さい。お願いします・・・」実は育てているカボチャの茎が一本折れて、前日に担任と話をしていたそうです。次の日見てもまだ折れたままだから心配してお祈りしてくれたのでしょう。
・D君は箱に新聞紙を詰めてお弁当を作り保育者に渡しました。「はい、これ。E君食べたら?(食べさせてあげたら)E君食べたら元気になるよ」E君は怪我をしてずっとお休みしているのです。D君の思いが届くといいな・・・
・F君は薬瓶にウッドビーズを詰めて病院ごっこ。F君「薬作ったの。神様の薬だよ」
保育者 「何に効く薬なの?」 F君 「トラックから守ってくれるの。僕、神様の病院行ってきます」
F君の心にはいつも守ってくれている神様がちゃんといるのですね。

何かと何かがつながって気持ちを向けるという事は本当に素晴らしい事です。

小林 悠子

つくしっこクラブ
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