2015年9月号

変化するものの中にあって


大雨が朝の登園時間から降り始め、園の前の道路の排水溝は雨水を処理しきれず、川のように園庭にも水が流れ込んできた日がありました。大雨の時の幼稚園の弱点である職員用のトイレの前のコンクリートのたたきの部分も、排水升では処理しきれないので、雨水が流れ込まないように土嚢を積んであるのですが、なんと天からの雨だけでたたき部分が満水になり、職員トイレに雨水・泥水が逆流してしまいました。集中豪雨が年々当たり前になってきていることが、実感されます。
地球の温暖化が海水の温度を上げ、台風の赤ちゃんがいくつも出来て合体してと、大きな気象の変化が見えてきています。生き物の世界でも、外来種がはびこったり、熱帯の生物が北上してきたりしています。身近にいる子どもたちも変わってきています。まわりの音に対する反応が多くて、気持ちがあちこちにいきやすい姿が目に入ります。本来は愛する人からかけられることばに反応して、言葉の奥に込められた目に見えないものが伝わっていくはずなのに。子どもたちの変化は、映像含め情報量の多さと関係があるように見えます。ドイツの児童文学者、ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』の中に出てくる時間泥棒は、大人をねらって各自の時間をかすめとり、ますます大人を忙しくさせていくのですが、子どもたちはまだ違う世界を生きられました。ところが今の日本は、子どもの時間さえも大人時間のようにきつきつにしていくかのようなのです。どんなにこちらが抵抗しようにも、経済最重視の大人の力は計り知れなく感じます。大人はのどかさを見失っているので、ついついいらない不用意な言葉が増えてしまい、お互いに言葉の応酬にはまってしまいやすいようですね。騒がしい世界では、生き物や自然の気配を感じるような時間は貴重です。また、一人絵本の部屋でソファーにはまって、絵本を眺める時間も貴重です。電気の付いてない狭い空間にうずくまって沈黙を感じる時間も貴重です。息が上がると子どもたちは自分なりにそんな居場所を探しに歩いて回るようです。
凄い早さですすむITの世界に負けない泥くさいやりとりを、やっていってほしいな~。効率は二の次で生きている人を見せていって欲しいな~。軒下のジョロウグモを捕ろうと、ボールを投げてみたり、柱に登ってみたり、「棒持ってきて!」「こっち押さえていて」と言葉が飛び交いあいながら、「捕れた!」「見せて、見せて!」……群れをなしながら歩いて行く子どもたち。子ども時間の我を忘れてが成り立つひととき。入園してからここまできたかと、5才児の各自の背中を頼もしく見つめる私がいます。なかなかいいなと。大きくなったら経済の担い手になるけれど、そこにひと味もふた味も愛を漂わせる、プリンシプルをもったおもしろい大人になってほしいな…と心から願っています(笑)。

新人の悩み事


見学会はどきどきです。私に質問されたらどうしよう。何も暗唱していないし…。
目はぱちぱちしてしまうけれど、この半年で得たことを、感じ考えたことを、話せればよしっと思ってくれるといいな~


園長  松本 晴子

つくしっこクラブ
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