2016年1月号

考えるのが人間


寒波が寄せてきて、帰りのお迎え時に冷たい雨が降り続いていた日のこと。皆が園のバスやお迎えで帰って行ったあとにまだ3人のお子さんが残っていました。それなりに一杯着ぶくれてはいましたが、じっとしていては凍えてくるような風です。すると、雨よけテラスの上で3人で走り出したのです。氷ビームを出す方と炎ビームを出す役割に別れて、一対二で遊びを考えてやっていたのです。普段一緒に遊ぶ友だちではなかったのですが、5才児と4才児の息の合うこと。お互いの行動や発する言葉を瞬時に受けて、判断して、ストーリーをかみ合わせていくのですから、すごい能力だと思ってしまいます。立っているだけでは私も凍えてきてしまうので、とうとう仲間に入れてもらったのですが、次はどう受ける?と頭がついていけなくて、なんともぎこちない限りでした。それぞれは、はあはあ動いて十分暖まったようで、お迎えが遅かったことも気にせず、気持ちよく帰って行きました。
子どもの本来の姿がよく出ていた一コマの紹介です。本来子どもはじっとしている存在ではありません。
起きているときは何かしら心を動かし、何かを認識し、知りたいという欲求から何かを試そうと行動を起こしていきます。行動の起こし方はいろいろです。それが多様さというものです。性急に興味に向かう方は、知りたいから周りの状況はある意味目に入らなくて、直進です。ですから「なんでやるんだよ!」「なんでとるんだよ!」という状況によくなってしまいます。一方心は動いているけれど、衝動を出しにくい方もいます。そういう方は他者からの評価や、注意、注目に敏感な方達です。周りをうろうろしながら手は出せず、よく見ている場合もしばしば。どちらも優れた面をもち、課題もあります。大人はある意味そういう課題を解決してきていると自分で思っているからか、より全人格的に育つようにと言葉を出したくなりますが、実は大人になったことで衰えてしまった能力もあるな~としばしば思うのです。
思い悩み傷つくことをしばしば見ていくので、植物のように素直に持てるものを出していく生き方に憧れてしまいますが、「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」(パスカル) 考えるからこそ人間。単純には生きられないけれど、考えることを楽しめるのも人間。そんなことを寒風を浴びていると思うのでした。

新人の悩み事


普段きちんと話してこなかったね~。ずーっと友だち言葉だったし、メールやラインは簡略出来るし。とっさに子どもや保護者や先輩に話すのは、まだまだ言葉遣いがおかしくなってしまって、難しいな~。
そんな想いが聞こえてきそうです。


園長  松本 晴子