2016年12月号

夢中の種


私は個人的に芸術館がお気に入りの場所といえます。たま~にしか足を踏み入れませんが、この空間の中に漂う何かが好きですし、興味のあるプログラムを年数回愉しんできました。12月に行われたイーヴォ・ポゴレリッチというクロアチアのピアニストの演奏会は、とても心に残りました。生い立ちを読むと、なかなか個性に富んだ生を歩んできている方です。表現のダイナミックレンジの大きさに、ざわざわした心持ちの方も多かったようです。楽譜とはだいぶ異なったようですから。(私は素人でわかりませんが。)でも、私には彼が今のこの世界への憤りをもち、それを溢れさせながらも、どんな人間をも受け入れあっていく世界への力強い希求が感じられたのでした。その想いに包み込まれてしまうかのような。。。またそんな自分を自分で見つめたい、受け入れたいと願って闘っているようにも聴こえました。とてもまっすぐな演奏、もっと聴いていたいというのが、正直な想いでした。最後のアンコールは胸が締め付けられるようだったけれど。大切な人を思い出す時間だったのかな。

なんて珍しく自分の感慨を載せてしまいましたが、12月には5歳児の子どもたちと、芸術館のパイプオルガン見学会に、参加してきました。音が上から降ってくる教会堂の様式で立てられているエントランスホールは、子どもたちの心を驚かせたようです。数年前には、この場に参加し、のちにこの体験からパイプオルガンを弾いてみたい!という願いを膨らませ、多くの方の助けを得ながら、小学生でこのオルガンを演奏したTくんがいました。演奏はすばらしかったんですよ。

子どもたちがいつ夢中になるものに出会うのかは、まったく予想がつきません。そこに立ち会えもしないし、物語(回想)を聞く機会などありません。それでも何かに心ときめく瞬間があるようにと、いつも願っています。今は虫や動物、恐竜なのかもしれません。歌うことや好きに踊ることかもしれません。ボールを追いかけることや縄跳びの回数かもしれません。水を出し続けて変化を見ることや、泥こねの感触にはまっているかもしれません。人を笑わすことや従わせることかもしれません。夢中になったものを極めようとしたら、かえって苦しくなる場合の方が圧倒的に多いでしょう。紆余曲折は小保方晴子さんのように、ポゴレリッチのようにあるかもしれないけれど、それでも、夢中になるものごとに出会ってほしいな~と願ってしまうのは、なんでなのでしょう。それが生きるってことの本質に近いように思うからかな~。

園長  松本 晴子

つくしっこクラブ
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