気のいい子どもたち
園庭開放を始める頃、どんなネーミングにするか悩みました。私のイメージでは村の広場に大きな木があって、その木の腕に抱かれるように、その下で子どもたちが遊ぶ風景でした。草花を摘んで編んだり、ままごとのおかずにしたりする風景。小枝を拾って剣にして冒険ごっこをする姿。かくれんぼや追いかけっこ。木の枝には手作りのブランコが揺れている。泣いている声も聞こえるし、笑い声もいさめる声も混じり合い、鼻歌や口笛が鳥のさえずりに混ざって、空気を流れていく。そんな小さな村の平和な日常風景。
「そうだ、木もれびの庭にしよう!」大木のソメイヨシノが園のシンボルでもありましたし、その樹陰は園の宝ものでもあったからです。
その日は木もれびの庭の日でした。担当の保育者がテラスに訪問してくださるお母さま方の荷物置き場を用意しました。10時から開始なので、しばらくシートが広がっていたからでしょう。ぞろぞろとままごと道具をもって、子どもたちがやってきて、そのシートはあっという間にままごとのおうちになってしまったのです。それはそれは楽しそうに話しながら、女の子達はせっせと所帯道具を入れ込んでいきます。ところが一人のお子さんがそこにあった立て札に気がつき、文字をなんとなく読み取ったようです。
「ここ使うみたいだよ!。」「えーどうする。」と女の子達の声。私は思わず声をかけてしまいました。こんなにたくさん運んできて、大変だったはず。まだ時間があるから、しばらくはやらせてあげよう。。。という配慮のもと、声をかけてしまったのです。「長い針が9まではいいよ。」と。でもそのメンバーは誰かのかけ声で、あっという間にまた荷物を撤収し、引っ越してしまったのです。まるでありが巣の大移動をするときのように。
生まれて4年くらいの子どもたちのグループでしたが、どれだけ頭を使って、身体中の五感を動員して考えて動いているのだろうかと、目を見張る思いでした。納得さえすれば苦もなく行動する力があることもわかります。それもとても真面目に。普段片付けや~らないというのは、自分にとっての意味が見いだせていないときなのかもしれません。小さい方も大きい方(大人)も圧力を言葉や態度でかけて、つまり威圧で動かそうとすることはもちろんあります。小さい方は大きい方をよく見ていますからね。一方道理にかなって人を惹きつける魅力で周りが動いていく仲間の姿も、日常あります。子どもたちは色々やってみるんです。そしてうまくいった、うまくいかないと体験しながら、木もれびの下(神さまのみ腕の中)で平和を学んでいくのでしょう。今の世の中は大きい方が育っていなくて、それも国を運営していく方々にマクロ的なまなざしが少なくて、残念でなりません。大樹に登って眺めてみて欲しいです。プリンシプルを抱いてね。
園長 松本 晴子