おたまじゃくしも生きている
沢渡川の緑地には小さな池があります。4月のはじめ、預かり保育のお子さん達と保育者が、カエルの卵をとってきました。私もバケツの泥水の中に沈んでいる卵を、手探りですくわせてもらいました。
「先生やってみて!」と年長児に挑まれたからです。手ですくうのは初めてで、思ったより軽いのに驚いてしまいました。ぶにょぶにょというより、さらっとしています。「え、こんな感じ!?」子どもたちと生活をしていると、大人になった今では自分からは決してやろうとしないことを、体験できます。これって幸せなことですよね。
玄関の前の器に入れて、卵からおたまじゃくしになり、その器にさくらの花びらが落ちて、と変化していく中で、お迎えの子どもたちがよくのぞきに行きます。「まだあしが出てこないね。。。」
「なにたべてんだろ」とつぶやくこえが聞こえます。私はこっそりめだかのえさを入れています。最初は見向きもされませんでした。もっぱら壁面についたみどりの藻のようなものを削り取っています。しかし時がたつと、動物性のえさも魅力的になってくるようで、立ち泳ぎをして吸い込むように小さな小さな口をあけ、一口0.5ミリくらいのえさが入ると、うれしそうに体をゆらすのです。さくらの花びらをはぐはぐする姿も目にします。食べているの?う~んよくわからない。毎日見ていると、愛着がわきますね。こんな中には、育ちが悪くて、まだこんなに小さくて痩せているの?というおたまもいます。大きなやからに口ではさまれていることもあります。生き残るのは厳しい世界です。いつのまにか、タニシが壁面についていました。これから環境が少しずつ変わるのかもしれません。
小さな生きものの世界から学ぶとき、人間は別の意味で大変だな~とつくづく感じます。大きな責任をしょっている。考える力がとてもあるのですから。感じる心があるのですから。自分のやっていることを、自分で評価して、よりよい方へと変換していくのですから。AIはどうやっても生きものではありません。人工です。自然の一部である人間にしか出来ないことは何でしょう?やはり考え続けることでしょうか?どうやったら人間同士、生きもの同士当たり前のように共存できるかなって。考えて考えて考えて。
園長 松本 晴子