こんなこともあそび

 外では裸になってボディーペインティングに興じる子どもたちが、にぎやかに動き回っています。その中をミニバケツを持って、しゃがみ込んで何かを集めている子どもたちがいます。「こっちにピンクがあったよ。Tくんのぶんもあるよ!」なんて声がします。「はるこせんせー、きみどりが見つからないんだよ。。。手伝って!」と呼ばれて、二人の男児に仲間入り。集めていたのは、風船の割れたあとのかけらでした。前日、水風船で庭にまき散らされた風船爆弾。そのかけらを集めることが、立派なあそびになっているのです。4歳児の二人はバケツをのぞいては、何色が少ないか吟味して、今度はあかを集めようよというように、収集を楽しむのでした。TくんはOくんのまねをしているので、バケツの中の量は控えめでした。「ぼくにもあかちょうだい。」「ちょっとしかない。」(量の比較をしている。学びです!)とOくんに話しても、収集という美に取り付かれているOくんは,たまにしか叶えてくれません。今はTくんの集めることを手伝おうかと私が大人心に動き出すと、先生はぼくより彼を。。。ということに気づいて、ぼくにも~となります。予想通りです。人っていくらでも求められるのですね。「こんなにあるでしょ!」とか「これだけ付き合ってあげたのだから!」と思っても、まだまだ求めるわけです。そんなわけで、こちらもぶつぶつ言わずに、もう限界というおしまいだけは伝えて、素直に付き合いました。それをビニール袋に入れて、満足満足と終了です。

 さくらの実の中身である種を集める時期もあります。ひのきの実やもくれんの実、藤の豆も集めます。だんごむしはもちろん、アリジゴクを集めることも。集めてはばらまかれていくこともあって、大人から見ると非効率で、無駄で、無意味なんじゃないかということが、立派な遊びなのでした。そしてこんな遊びが学びなのです。物質の変化や仲間集めや歩いたりしゃがんだりの繰り返し。比べたり自慢したりがっかりしたり喧嘩になったりの繰り返し。言葉で表現したり跳びはねて喜んだりの繰り返し。五感をふつうに使って、味わっていますね。

 

実はこういうことをするのが SCHOOL です。SCHOOLの原義はギリシア語の『schore』(余暇)に由来するとのこと。暇をつぶすための時間や場所を表すそうです。本来の学びはそういうところにあったというのは、なんという驚きでしょう!無駄と思える時間と場が、思索する場でもあったのです。ギリシア世界ってすごいのかもしれません。

園長 松本晴子

 

つくしっこクラブ
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