時間(とき)

秋が通り過ぎていきます。短い夏はものすごく暑くて、エアコンを付けつつ窓も開けて、電気の消費は否応なく多くなります。人間の社会生活維持のために地球環境が疲弊し、CO2を減らさなければと危機感があるのに、疲弊したがために現れたウイルスの感染を予防するために、発電量を増やす方向になってしまいます。

そんなジレンマをもやもやと内に抱えながら、ある日園外へ散歩に出かけました。5歳児の面々は何か生き物を見つけたいと想いをふくらませているようです。遊歩道を一列で歩くのはコロナ対応ですが、何か見つければどれどれ。。。と頭を寄せ合ってしまうのですから、子どものしぜんさは健在です。私はマイペースなUくんに付き合いながら、散歩を味わいました。柵を掴みながら横歩き。低い塀の上を歩けるところまで歩く。地下水の滴る音に耳を近づけ、しばし動かず。公園の水飲み場の落ち口をのぞきこみ、水の出し方を探り、出ない水の吹き出す方を追って空を見上げる。木製のベンチの痛んだ側面をむしり、ブロックにのぼり、土管から聞こえる音(空気の反響)の秘密を知りたくて、そこに入っていきたいのを押しとどめられる。草のジャングルに踏み込む。ぬかるみに足が気づく。

なんともいろいろ試しているのです。そういえば、私も幼いころ家に帰宅後、のっぱらで同じような時の過ごし方をしていたな~と思い出しました。超マイペース。枯れたかやの葉のドームの中に隠れ場所を見つけ、息をひそめて誰かが見つけるまで隠れていたスリル。その場の生き物たちとの一体感。今でも身体が覚えている喜ばしい記憶です。誰かに指示はされませんから、それは子どもにとっては遥かなる冒険だったのでしょう。

草むらを行進していく5歳児の子どもたちに、へびがいるかもしれないよ!と声をかけると、どこどこどこと目を丸くし、隣家との境の塀に、へびを見たという想像話しが沸き起こり、これは抜け殻だと作り上げ、お話の世界にあっという間に入り込んで、数十年前の子どもとなんらかわらない、ゲーム世代の子どもたちが目の前にいたのでした。しあわせな時間(とき)。二度と同じときはないというふしぎ。もやもやは永遠の課題であることには変わりはないけれど、この地球との接触は太古から今につながるタイムトンネルなのだな〜と、想像してしまうのでした。

園長 松本晴子

つくしっこクラブ
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