2008年2月号

3月


長く厳しい寒さの先に、春の光のきらめきを知っているから、私たちは前を向けるのでしょうか。どんなに冬が長い国でも、芽吹きが訪れ、人々は喜びに心を解放していきます。3月は幼稚園で生活する大人も子供も、そんな喜びと光に包まれます。ひなまつり会を見ていても、1年かけてクラスの仲間が、異年齢の仲間が家族のようになってきたことを、思い知らされます。決してそれは安易な道ではなく、困難な道であったと客観的にみても、思います。生きている年数も、経験も、持っているものも、育ちも異なるメンバーが毎日ごちゃごちゃうごめき、立ちすくみ、叫び、自分って何!っと掴みたくてもがいているような、子供たちからはそんな生き様を感じます。それがぐっと自分自身に自信を持ち、愛されていることに裏打ちされたように、芽を伸ばしていく3月です。
残念ながら、私たちも子供たちも、新年度はまた新たな環境に向かわなければなりません。勇気がいりますし、不安は隠せません。しかし、それが自然の営みなのだと思います。戸惑うことから逃げてはならないのだと思います。喜びも悲しみもどちらも人の育ちには、必要に思うからです。
環境に対する不安が強いMくんが、先日ホールでころんで、おお泣きしました。入園してから今までは冷やすものを当てることも大嫌いで、いやいや言っていたのに、「アンパンマンのほっぺみたいにふくらんじゃうかな。」と語りかけてみると、素直に冷やさせてくれたのです。そして、しばらくすると、すくっと立ち上がって、もう大丈夫とクラスの活動に自分から戻っていきました。大きくなるにつれ私たち保育者のことは忘れていってしまうでしょうが、彼らの心に芽がふくお手伝いをしているという喜びは、やはり何ものにもかえがたいのでした。
園長  松本晴子

家族ごっこ


ある日、私は「家族ごっこ」(おままごと)に入れてもらいました。しかし、ごっこ遊びとはなかなか難しいもの。お姉さん役の私は何をすればよいのでしょうか?他の子ども達を見てもそれぞれ好きな事をしているし、だからといって的外れな言葉や行動で遊びに影響するのもちょっと・・・。迷いながらも私は「買物に行こうかな」とつぶやくとそれを聞いたAちゃんの提案でケーキを買って誕生パーティーをする事になりました。準備をする間、私には赤ちゃんの面倒を見てほしいとの事なので、行ってみると赤ちゃん役のC君は泣いたり、逃げ回ったり。いつも真面目で正義感の強いタイプのC君がお姉さんから逃げ回り、泣いて騒いでいるなんてとても面白い光景です。いつも真面目だからこそ、こんな遊びの中では安心して相手をてこずらせたり、追いかけられる事を楽しいと感じているのかも知れません。そうだとすれば、やはりごっこ遊びには大きな意味があります。心のままに泣いて騒いでも暖かく受け入れてもらえるのですから。もちろん、私は大騒ぎをしながC君を追いかけました。
そのうち、Aちゃんがケーキを10個持ち帰りました。子ども達は「ハッピーバースディを歌った方がいい」というDちゃんの勧めで歌を歌い、1歳になったというE君が葉っぱのろうそくを消し、「ケーキは食べたら砂を捨ててカップは重ねる事」というFちゃんのいう通りにし、お誕生日のお祝いは終了しました。大人が口を出さなくてもこんなに楽しめる事にそれぞれの成長を感じ、又普段と違った顔も見せる子ども達にこっそり笑ってしまったごっこ遊びの一時でした。
小林 悠子

つくしっこクラブ
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