2012年8月号

歌 声


この夏は予想どうり、大変な猛暑続きでした。暑さのために体が疲れ、それに伴って心もトーンダウンしていくことが予想されていました(私のヘルスメーターによれば)。そんな中保育者の研修会で、ゴスペルを合唱する機会がありました。聞かせてくださったのは、本年の担当部会の神奈川県のキリスト教保育を行っている私立園の先生方でした。指導者は國友淑弘さんという方(お名前を検索すると、HPが出てきます)。全くパワフルなクリスチャンで、体中から表現する喜びに溢れていて、舞台で唄うメンバーものりにのって楽しそうでした。私も唄うことが本当は好きなのでしょう。英語なのでついてはいけないのですが、会場の参加者も唄える部分があり、気持ちが満たされました。
また、こんなこともありました。別の講師の先生(男性)が学生時代に愛育研究所に手伝いに行っていて、よくぶらんこを押してあげた女の子がいたことをお話しくださいました。いつも「ぶーらんこゆれる~おそらがゆれる~」と唄ってあげながら押していたのだけれど、そのことは年代も、性別も、貧富も超えての今を共有していた時であったということ。唄うとその時の情景がよみがえってくるそうです。私も園のブランコを後ろから押すときは「ぶーらんこゆれる~おそらがゆれる~」とよく唄います。たぶん唄っていることを知っている保育者はいないはずです。なぜなら、それはひとりぽつんとぶらんこに座っている、まだこげないメンバーの時だけなのです。今この文章を書いていて、気がつきました。前には園庭のこならの木が見え、奥には真っ青な空や時にはふわふわの雲。飛行機がかすかに横切っていくのが見えるときもあります。大きな宇宙の中に漂う小さな存在の2人だけれど、この時を今生きているんだ~って深く感じる時間なのです。
そしてもう一つ。旅先で入ったみたカソリックの教会。天井の高い礼拝堂の中でミサ曲の練習をしていた音楽家集団がいらして、天から降ってくるようなカウンターテナーの歌声と古楽器の調べ。そしてステンドグラスから差し込む柔らかい光に包まれる機会に恵まれました。言葉もなく。。。
歌(音色も含めて)は太古から人間の生と共にあって、人を支えてきたものなのだと強く感じた夏でした。歌は、自分は一人ではないということを思い出させてくれます。生活の中に歌声を!これは教育的にもたぶん最良なことだと思います(笑)。
園長  松本 晴子

もっと今を生きてみませんか?


夏休み中の研修で心に残ったことは、「心打ち震えるような感動はその人の人生を支える」(「夜と霧」フランクル著)と「出来ないことから子どもの学びは始まる。難しいことがおもしろい。」(内村選手の蹴上がり習得のエピソード)でした。子ども達の生活を子ども達の側からもう一度味わい直していきたいと思わされています。子ども達は、常に「今」を生きています。だから、「今」が充実し幸せであることが大事なんです。大人は行く先々が心配で、「今」をその準備に当てる傾向が世間的には強まっている昨今ですが、今の幸せが未来の幸せに続くと信じています。
では早速、8月の夏季保育のあそびの場面から、「生きる喜び!?」のおすそ分けをさせていただきます。

【1】
A君が三輪車のステップの所に縄を結びつけて颯爽と走っていました。縄はまるでしっぽみたいです。しばらくすると、A君はもう一台三輪車を見つけ、何やら始めました。もう一台の三輪車のステップの所にも縄のもう一方を結びつけたいと考えたようです。でも、思うようには結べません。さっきは結べたのに、どうして今度はうまくいかないのかわからない様子。「あれっ?! また結べない…。どうしてかなぁ。」―― 試行錯誤は片付け近くまで続きました。(頭使ってるね!!)

【2】
セミの抜け殻は葉っぱの先に付いていました。その枝の先の幹にはべっ甲のような色のヤニがありました。ヤニ(子ども達は「蜜」といっています)の美しさに見とれたものの、男の子達は遊具の上から腕をめいっぱい伸ばしてセミの抜け殻を手に入れ、大満足。 次の日、「これ綺麗でしょ!!」―― あの美しい宝石のようなヤニはBちゃんの手に…?! スコップを使って採ったと目を輝かせながら話してくれました。本当は遊具の上では使わないことになっているのですが…。Bちゃんと女の子達はヤニを分け合い満足そうです。蛇足ですが、Bちゃんはヤニを持ち帰って、飼っているクワガタにあげたそうです。(ルールを越えて目的達成!…もありかな…)

フリー担当  深谷幸代

つくしっこクラブ
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