2009年8月号

ある日の食育


夏期保育恒例のデザートクッキング。久しぶりに出会ったクラスの面々と、会えて嬉しい!という空気の漂う中、「おいしいもの」と聞いて、幼い3歳、4歳の子供達もお部屋へ集まっていました。
スモックと三角巾にマスクという出で立ちで、真剣にデザートを準備する姿は、とてもほほえましいものです。子供は母親の姿にこんなに憧れているんだ…と教えられます。身支度・手を洗うこと・消毒すること・切ること・卵を割ること・混ぜること、塗ること・載せること・焼くこと・ひっくり返すこと・取り分けること。簡単なクッキングだけでもこんなに色々な作業がありました。その上自分の番を期待して待ったり、他者の手元を見入ったり、どれが大きそうか見比べたり、器にどれだけ盛るか考えたりと、またまた多岐にわたる体験をしているのです。脳を使っているのがよく見て取れます。なにせ生きていく上で、基本となる欲求に近いことですから…(笑)。
そうそう、頭を使っていたこんな風景がありました。器にカットしたスポンジを盛りすぎて、上に載せるフルーツが乗らない状態の男児2人(4歳児)。私は「スポンジはぎゅっと押すとつぶれるよ。」と、こっそり教えてあげました。2人はぐーでぎゅうぎゅう押し込め、フルーツを載せ、ホイップクリームをたっぷり載せて席に着きました。が、あーバランスが悪かったのでしょう。カップがことんと横倒れに…。そしてあっと声をあげて泣きそうになるR君。N君は手を伸ばしR君の口を押さえ、泣き声がもれないように必死になっていました。周りの子供達は騒ぎませんでしたし、先生からも声がかかりませんでした。N君はR君のカップを起こし、テーブルについているクリームはあきらめたかのように触らず、手に着いたクリームをどうしたものかと考えながら、なめてしまうことに決め、頂きますと共に、二人は何事もなかったかのように、デザートを食べ出したのでした。もちろん満面の笑みで食べていました!
大人はどれくらい子供達のドラマを楽しめるものなのでしょうか。私も器を深くしたいものです。
園長  松本 晴子

便利な社会で


先日、ある研修で「現代は生活が便利になり大人の手仕事が減っているため、子どもの憧れやそれを模倣した遊びが減ってしまった」というお話しを聞きました。ボタン1つで事が済み、仕組みも複雑で分からないために、想像力もかき立てられないというのです。言われて納得。手で洗濯をしたり、井戸で水を汲んだり、枝や枯れ葉で火を燃やしたり、身近な道具で物を直したり…手仕事の多い時代やその方法を私たちは少しは知っていて、時には見たり経験することもあるけれど、日常に溢れてはいません。子どもたちの遊びは日々の経験や生活が大きく影響しているのですから、やはりそれが遊びとして模倣される姿はぐっと少なくなることでしょう。つまり遊びは創られにくく広がりにくいという事でしょうか。
私たちは保育の中で遊びをふくらませるために、道具を用意したり提案をする事がありますが、やはり、子ども自身が面白さや興味によって生み出したものでなければ続かない事も多いのです。〇〇ごっこをしているという割には動きのない遊び方をしている事もしばしば。なぜだろうと疑問に思っていたのですが、この話を聞いて腑に落ちる思いでした。考えてみれば、子ども達は大人の動きに興味を持っていてお手伝いに喜んで取り組むことも多く見られます。しかし、その「いいなぁ、やってみたいなぁ」という興味や憧れさえ、便利な現代社会は奪ってしまうという怖い側面も持っているのですね。
子どもにとって魅力的なモノを育てるには、私たち大人が“あえて”言葉や姿や色々な方法で伝えていく必要があるようです。
小林悠子

つくしっこクラブ
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