2007年7月号

生きることを支えるもの…感性


7月末というのに、黄昏の中ひぐらしの声が聞こえます。今年度は7月のお泊まり会を初めてキャンプにしたのですが、その栃木の里山にも「かなかなかな…」という声が響き渡っていました。
お泊まり会をもっと素朴で、自然の中に五感を浸すときにしたいという思いは、ずっと前からありました。でも具体的にどうすればよいか、また職員の一人ひとりに理解を得るための道筋が見えてこなくて、思いだけがずっと私のうちに漂っていました。しかし、思いって見かけより力があるようです。チャンスが与えられる時があって、それから色々準備をして、とうとう出発の朝となりました。天気予報は曇りのち雨。台風もせまっている。数日前から気持ちを淡々としておくのが大変でした。
その日の朝、園庭の桜の木の梢から鴬の透明な声が響き渡りました。高い枝に姿を見つけましたが、その声は不思議と何とかなるよと言っているかのようでした。出かけた先での子供の姿はとても印象的でした。森との仲介者のキャストの方々のお力が大きかったのですが、子供達は指示されることのほとんどない開放感の中で、森や自然への畏れを身近に感じて、注意深く五感を周りに張り巡らして歩くのです。特にレイチェル.カーソンの言っているように、夜の森を歩くという体験は畏れも含めて、センス オブ ワンダーを確実に五感に刻みこんだように思います。
2日目の早朝、またすぐそばで鴬が鳴いている声で目が覚めました。霧雨がたまに緑を濡らす時がありましたが、かえって森の緑を鮮やかにし、空気をしっとりさせてくれたようです。前日遅く寝て疲れ切っていたはずの子供達は、翌朝心から叫んでいました。「もっともっと泊まりたい!ここに居たい!」
すべてをお守りくださった神様のまなざしを、深く感じた夏のはじまりでした。
園長 松本晴子

感じる


子ども達と氷鬼等の集団遊びをする事があります。こういった遊びはある程度の人数が集まった方が面白いので、子ども達と園庭をまわり誘いの声を掛けます。
歩きながら私は、A君が入ればB君も入るかな?とか、Dちゃんはどうしたら入るかな?等と考え考え声を掛ける時があります。逆に、今日はこの子達が入っているから、この子ども達とじっくり関わろうと考えている時もあります。実際遊び出すと、なぜか後者の気持ちで遊びだしたときの方が長く続いたり、他の子ども達があとから「入れて」と入ってきたり、そういった事でゲーム性が増して面白くなったりします。片付けの時になって、普段は何とか子ども達を部屋に入れようとしているのに、「まだ遊びたいよねー」等と思わずもらしてしまう事も…。私もなんだか子供になったような気になるのです。
これはおそらく、保育者の気持ちがどこからか子ども達に見えているのでしょう。意図を持って指導しようという気持ちが全面に漂ってしまうと、さっと身を引いていく子。与えられた状況を感謝して味わおうという気持ちが漂っている時は、子供達も安心し素直に楽しいのかもしれません。子ども達は相手の雰囲気から感じ取る力を十分に持っているという事ですね。この能力を子ども達はいつどこで身につけ磨いているのでしょうか。子ども達はこの感覚をフルに使って物事に直面していくのだと思います。その時に保育者の意図をどう見せてどう見せないか、腕の見せ所なのかもしれません。
それにしても、枝切りをすればおばあちゃんの気持ちになり、氷鬼をすれば子供の気持ちになれるなんて、私の感覚も子ども達によって磨かれているのかしら?と面白く思っている今日この頃です。
小林悠子

つくしっこクラブ
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